報告1の続き
すでに、「支援物資を送る」という事の次の段階に来ていると感じました。
物資をおろした後、徒歩で釜石小学校に避難している知人に会いに行きました。
釜石の商店街は建物は残っていますが、1階部分をすべて水が通り抜け、泥とがれきが道路わきに山になっていました。
川には紙屑のようにくしゃくしゃになった車が転がっています。
商店街では、黙々と片づけをする地元の方が印象的でした。
釜石小学校の避難所では知人に会うことはできず戻りました。
ボランティア作業をやるには時間的に中途半端なってしまったので、大船渡へ移動。
現地に迷惑がかからないよう、食事は持っていくこと、燃料は持っていくこと、大はしないことを心がけました。
途中、唐丹小学校によりました。
悲しかったです。
いたるところに遺体発見を示す×印がありました。
大船渡はまるで線を引いたかのように、壊滅と無傷の家が同じ地区に並んでいました。
地震だけなら無傷、津波が届いた地区は壊滅。そんな印象でした。
津波に対して、正面から受けるような集落は被害が大きかったようです。
道路もいまだに多くの亀裂が走り、ゆがんでいる状態でした。